自性を見る――自性を見分ける
私たちはゴッホの手紙や絵を見て、蘇軾の文章を読み、そこに熱く、明るく、自由な魂を見る。ゴッホも蘇軾もまだ生きていて、これらの作品の中に生きていると感じる。
実のところ、私たちが見ているのは、人間の本性、人間の根本、自性なのだ。自分の内なる熱く、明るい一面を見ている。それにゴッホ、蘇軾という名をつけている。
マルクス、エンゲルス、ノーマン・ベチューン、蘇軾、李白を見るときも同じで、私たちは自性の光明を見ている。それにマルクス、エンゲルス、ノーマン・ベチューン、蘇軾、李白という名をつけている。
名高い偉大な人格とは、自性のある部分につけられた名なのだ。#人格のオープンソース化#
自分を生きるとは、小我や個性を生きることではなく、本来の自分、本性、自性を生きることだ。
いつの日か、人々が自性のある一面を見て、それを蘇霍壹と名づけることがあれば、それこそが私の成し遂げたことになる。
私たちが他者の中に明るいものを見るのは、自分の中にもそれがあり、それを見いだしたからだ。
私たちは、自分を助けてくれる人、美しい心を持つ人、素朴で真・善・美を備えた庶民の中に、そして大自然の中に、大いなる光明、ある種の律動を見いだす。私たち自身もまた、その大いなる光明の一部であり、天と人は一つとなり、万物は等しく、ともに生まれる。それをどう言い表せばよいのかわからず、道と名づける。