過度な不安をどう解消するか
一、不安の解消は難しくない
不安は、それほど解消の難しい問題ではない。かつての私も不安を恐れていた。しかし、心理学や心の修行に取り組む人たちの間では、不安はそれほど恐れられていない。数え切れないほどの人が不安を克服してきた。私自身も、この数年で、30歳ごろに不安障害が疑われる状態から、今の穏やかで静かな状態へと変わった。荘子が得意とするのは、まさに不安という課題を解決することだ。
もちろん、不安は軽々と克服できるものでは決してない。以前取り上げた死への不安や自己攻撃の課題と同じく、いずれも後期の課題に属し、体系的に取り組み、その後期に至ってこそ、実質的な質の変化が生まれる。
二、不安は影のようについて回る
高校生、数学・物理系の学部の大学2年生、大学3年から大学院入試の準備を始める学生、大学4年や卒業後に実家で公務員試験の勉強をする学生。25歳で社会に出たばかりの若者、28歳で数年働いてきた若者、30歳前後の若者、35歳で人員整理や解雇の問題に直面する中年、40歳の下級・中間管理職、40代の起業家、専業主婦、ミッドライフ・クライシスのさなかにいる普通の人、腫瘍マーカーの異常を告げられ糖尿病と診断された普通の勤め人、高齢の親や子どものことで強い不安を抱える中年。
不安は影のようについて回り、現代生活の一部になっているようだ。そのため、人々は不安を「異常」だとは思わず、同時に、不安は解消しにくいものだと考えている。あるいは、もっと強くなり、もっと力を持ち、もっとお金を得ることでしか解消できないと考えている。
以前の記事「かつて不安障害が疑われた私の経験から、不安を生む職場環境を考える」では、職場環境の中で不安が幾重にも増幅され、圧力が加わっていくことを論じた。
三、不安を知る
1.不安は「正常」である
ここでいう正常とは、不安が長く続いても、過度になってもよいという意味ではない。正常な不安は、人間の正常な心理的メカニズムであり、内なるリビドーが強いストレス反応を起こしている状態であって、病的なものではない。
不安を恥じる必要はない。私が以前いた金融投資業界では、誰もが不安を抱え、しかも誰もがその不安を恥じ、誰もが不安などないふりをしていた。それが皆をいっそう不安にしていた。
あなたが不安を抱くことを許さない人からは、距離を置こう。以前の記事「感情の安定は見せかけの概念――人格が安定すれば、感情は自然なものになる」
私たちは不安そのものを拒絶したり、対抗したり、避けたり、隠したりするのではなく、むしろそれに向き合い、受け入れ、抱きしめる。以前の記事「自分の暗い面をどう抱きしめるか」
今、不安を抱えている自分を抱きしめ、緊張している自分の内なる心を抱きしめよう。
2.正常な不安と過度な不安を区別する:
正常で理にかなった不安は、日常の一部だ。最高のアスリートも、演説家も、戦士も、不安を抱く。
この記事で主に取り上げるのは、正常ではない過度な不安、私たち自身が病的だと「自覚」できる不安だ。
外科医は手術をするとき、不安を感じるだろうか。だが、だからといって一生を不安の中で過ごさなければならないのだろうか。明らかにそうではない。むしろ医師たちは不安を克服し、自然体で落ち着いていられるはずだ。
- 不安を解きほぐす:過度な不安は、結局のところ内面の課題である
人が表面的には外に答えを求めているとき、精神分析の観点から見ると、そこにはしばしば深い原因がある。
地方の小さな町で育ち、試験勉強によって道を切り開いてきた多くの人たちは、表面上は成績や名声、利益に執着している。しかし、その深層には、救済者的なパーソナリティ、条件付きの愛、直線的な価値観、実存的危機などがある。やはり深い根源から解決していく必要がある。
以前の記事「地方出身の受験エリートの生きづらさ」
私たちは、不安の対象は外にあると考えがちだ。大学入試、大学院入試、公務員試験、お金、人間関係。
だが、不安は結局のところ内面にある。緊張や落ち着かなさ、執着なのだ。
たとえば、親が子どもの教育に不安を抱き、この子はもうだめになると思うとき、それはしばしば、自分自身の内なる不安や、自分はもうだめになるという感覚を、子どもに投影しているにすぎない。子どもにはもともと本来の十全さがあり、向上し善へ向かう本能があり、回復する力や探索する力がある。ところが、親のこうした不安が、かえって子どもを息苦しくさせてしまう。
親の健康を損なう生活習慣や、親の死に対する私たちの不安も、しばしば自分自身の健康への不安に根差している。
4.方向性:外に求めるのをやめ、内に探す
不安はしばしば、外面的な姿やコントロールの喪失に「焦点」を当て、内面は混乱し、見通せなくなっている。
だから、修行の世界でよく知られるこの言葉が処方箋となる。「外に求めるのをやめ、内に探す」
マルクスも、仏教も、禅も、荘子も、外面的な姿への執着を打ち破るよう人を導く。
本来の自分へ、本来の十全さへ、もともとの清らかさへと立ち返る。
以前の記事「荘子・平常心こそ道」「荘子・静けさによって人を利する」
今を生きることで得られる地に足のついた感覚、今ここにいる感覚、信念、明るさの感覚は、さまざまな妄念や、虚無から生じる不安に対抗する方法となる。
「過去の自分に感謝し、今の自分に感謝する」
五、マルクス+荘子+心理学
不安には、たとえば次のような多くの課題が関わっている。
方法の体系という点から突き詰めれば、やはり次のようになる。
1.内的な核の問題:コフートの自己心理学。自己の脆弱さ、厳格な超自我、自己攻撃、万能的な自己愛、偽りの自己、条件付きの自信、支配欲など。
2.関係の問題:ウィニコットの対象関係論、アドラー心理学。条件付きの愛、分化の課題、関係における業の絡まり、有害な関係パターンの反復、愛着の課題など。
3.実存主義:アーヴィン・ヤーロム。孤独、無意味さ、自由と責任、死など。
4.人間性心理学:フロム、ロジャーズなど。疎外、本来の十全さなど。
5.荘子、生存とお金の課題。
6.マルクス主義、疎外、世界観・人生観・価値観。
以前の記事「ミッドライフ・クライシスをどう解消するか」「年末の不安をどう解消するか」「自分の暗い面をどう抱きしめるか」「厳格な超自我と自己攻撃をどう解消するか」などで述べたように、結局は土台から順に、一連の問題を解決していかなければならない。相対的にいえば、不安は中期から後期にかけての課題であり、後期の課題とまではいえない。