マルクスと荘子の心理学 マルクス+荘子の哲学 · 誰もが本来、すべてを備えている

つながりシリーズ

自分とのつながりをどう築くか

どうすれば自分とつながれるのか

前書き・人は往々にして自分とのつながりが乏しい

  1. 直感が混乱し、直感に頼れない。仕方なく思考に頼るが、思考はさらに混乱している。直感はいっそう苦しい。
  2. 何も感じない(つながりの欠如)、興味が湧かない(心の力の欠如)。欠乏し、干からびている。つながりの反対は、解離である。

目指すのは、感じられること、興味があること、意味があること、方向があること、無条件の自信があり、自由にのびのびといられること。満ち足りて、心の力がみなぎっていること。
自分を大切にすることが、一つの鍵となる。エネルギーを自分の内に集めること+自分とつながること。

一、身体とつながる
運動などの健康的な生活習慣が、自然に生まれること。以前の記事『私の運動体験から思うこと――どれだけ運動しなければならないかではなく、どれだけ運動したいか』で書いたように、風を受けて走るのは人間の本能だ。人には本来の十全さがあり、身体は生まれつき動きたがり、心は生まれつき真善美と光を求める。小さな子どもを見ればわかる。夢中で走り、追いかけっこをしてはしゃぎ、大声で叫び、日が暮れるまでボールを蹴る。これが人間の本性だ。
自分の感覚とつながり、自分の身体の声に耳を傾ける(緊張、こわばり、疲れ、喜び、気持ちの高まりなど)。

二、深層の心/リビドーとつながる
リビドーは、人の心の力、潜在意識、深層の心であり、業の障りと自性が混ざり合ったものだ。
詳しくは、以前のリビドーに関する連載、たとえば『私の構造――実の私がリビドーに寄り添う』を参照。

三、暗い側面とつながる
暗い側面とは、私たちが恐れ、拒み、対抗し、逃げ、先延ばしにする側面だ。内なる小さな自我、感情、トラウマ、防衛、執着、業の障り。(以前の記事『業の障り特集』)
詳しくは『暗い側面をどう抱きしめるか』を参照。

四、自性とつながる
自性を記録する――日記に、自分の自性の光(深い智慧)が現れた事例を記録する。
マインドフルネスとつながる――穏やかさ、幸せ、エネルギーの高まりを感じているとき、自性が感じている。天人合一のとき、自分の光が宇宙の光とつながる。感謝し、恵みを大切にする。光、真善美。

五、過去の自分とつながる
過去にとらわれず、未来を憂えない。過去とつながることは、過去にこだわり続けることとは違う。今とつながってこそ、未来とよりよくつながれる。
過去の自分の傷と、力を尽くしたことを見る(過去の自分に感謝する)。過去の自分の自性の輝き、本来の十全さを見る。
過去の一つひとつの「今」を生きていたとき、何がうまくできていたのか?
以前の記事『過去の自分に感謝し、今の自分に感謝する』。

六、今とつながる
『今を生きることについて』:
今を記録する。
今の中心的な課題、小さな変化。
つながり。

七、学業や仕事、条件つきの自信とつながる
核となる条件つきの自信と、エネルギーの高い流れにつながる。条件つきの自信は、欠乏感を少し埋め、安心感を増してくれるが、自己愛や優越感という業の障りにもエネルギーを与える。
功績、資本。
仕事をこなせるという感覚と、職業上の自信。
個人メディアで書くことも、自信とつながりの感覚を増してくれる。

八、日記を書くことは、人が本当の意味で霊と通じ、神と通じ、仏を拝むための通路である
日記を書くとは、「中程度」の気づき、高い気づき、低い気づきの状態にある無数の「今」を記録し、別の気づきの状態にある「今」の参考にできるよう残すことだ。意識が明晰でない時期に、明晰な時期の自分、エネルギーの高い自分、自性、仏性と対話する。心こそが仏である。これが、人が本当の意味で霊と通じ、神と通じ、仏を拝むための通路だ。
これは、人間にとって数少ない本当の「修行」の技法のように思える。同時に、努力とは見せかけの概念であり、私たちがこの技法を学ぶのはなかなか難しいということも示している。
なぜ人は日記を書かないのか? あるいは、書いてもこうした効果が得られないのか。その意識(そういうことがあると知らない)、能力(心の力、苦痛や暗い側面を避けること)、習慣がないからだ。「気づき」の状態にあるときに、日記の不思議な力に何度も気づいて初めて、日記を書き続けられるようになる――成長の結果であって、出発点ではない。
習慣そのものが深いつながりだ。力を込めて新しい習慣を身につけられるだろうか。できない。習慣とは、心の力→体験→つながりという、自然な営みなのだ。