「自律すれば自由になる」という概念はまやかし――自由であれば自律する
規則正しく健康的な生活は、心身が本能的に求めるものだ。エネルギーに満ちた人は、自然と規則正しく健康的に暮らすようになる。誰もが本能的に、健康的な食事をとり、規則正しく眠り、運動し、遊び、働くことと休むことを両立させたいと思っている。努力も意志の強さも必要ない。こうした自己管理は自然の法則に沿うものであり、自分に規則や戒律を課すことではない。
「自己管理ができない」のは人間の本性でも本能でもない。むしろ、「自己管理ができない」という状態が、人の本能をどうやって抑え込んでいるのかを問うべきだ。人が「自己管理できない」のは、しばしば心の消耗、心の崩壊を防ごうとすること、心の傷を慰めようとすることに由来する。暴飲暴食や糖分・油分の多い食事は、強い圧力のもとで心身をすり減らす仕事のストレスに対抗するためであることが多い。夜更かししてスマホをいじるのは、日中、自分の時間があまりにも少なく、自分らしくいられる機会も、自己とのつながりも、深い体験も、感情を味わう体験もあまりにも少ないために、夜更かししてスマホをいじることで、ひとりで過ごす時間や、自分の「自然な」気分や感情を味わおうとしていることが多い。これは、現代の働き手が牛馬のように酷使される、労働の疎外がもたらした結果だ。自己管理ができないのは、自由がないことに由来する。さらに深刻な場合には、自己管理ができないことが自己破壊的な心理に由来することもある。いずれにせよ、自己管理ができないということは、社会の問題であり、心の問題であり、業の障りなのだ。その背後には、エリート主義による労働者階級への心理的な操作と支配がある。
自分で自分を心理的に追い詰め、自分を責めながら強い圧力をかけて自己管理を強いることは、あまり役に立たず、逆効果になることも多い。それは、厳しすぎる超自我、厳しすぎる小さな自我の業の障りだ。親が子どもを競争へと駆り立て、強い圧力をかけて監視し、自己管理をさせようとするのも同じことだ。健やかに育っている子どもに、それほど大きな問題がそれほどたくさん生じることはない。やはり、土台となる状況や、内側から湧く意欲そのものに問題が生じているのだ。そして、子どもを競争へと駆り立て、強い圧力をかけて監視すること自体が、問題の根源の一つでもある。私たちも皆、子ども時代を経て大きくなってきた。向上心がなく、真・善・美を求めない子どもなどいないし、先生や親に好かれ、同級生から尊重されるよい生徒になりたくない子などいない。小学校の教室では、みんな背筋をぴんと伸ばし、肘を曲げてきちんと手を挙げていた。中学校に入る頃から、一部の子どもたちが背中を丸め、うなだれ、気落ちして無気力になり始めるのは、いずれも内面と外部の環境に大きな問題を抱えるようになったからだ。
自己管理に力を注ぐのではなく、土台となる状況、精神分析、自分を愛することに力を注ごう。
注:この記事もまた、道家哲学、努力への反対、自然の成り行きに任せること、自分を疑うことへの反対などからなる、世界観・人生観・価値観の体系の一部をなしている。