マルクスと荘子の心理学 マルクス+荘子の哲学 · 誰もが本来、すべてを備えている

業の障りシリーズ

主体性が強まると、スマホを見続けることにのめり込まなくなる

主体性が強くなると、スマホをだらだら見続けなくなる

多くの人にとって、本当の意味で成熟するうえでの課題の一つは、スマホにのめり込むことをどう捉えるかだ。不安からひたすら見続ける段階から、無理やり断とうとする段階を経て、内面が癒やされ成長すると、恐れもせず、のめり込みもしなくなる。ショート動画が一世代をだめにすることはない。ゲームセンターやビデオ上映館、ネットカフェ、ネット小説が、1980年代生まれの人たちをだめにしなかったのと同じだ。『普通の人が本来の十全さを実感するには』。

自分の内面が澄みわたり、世界観・人生観・価値観が確立すると、スマホでいろいろなものを見ても、つまらなく感じるようになる。

一、多くの人は成熟すると、自分には関係のないこともあると気づく

以前は、自分に「関係がある」と感じていた。

  1. 面白い典型例が、路上のいざこざやボクシング、格闘技の類だ。多くの男性は、こうした動画が流れてくるたびに、自分に「関係がある」と感じる。本当に成熟すると、自分には関係がない、自分がそんな場面に遭遇する可能性は極めて低いし、暴力的な場面に遭遇したとしても、頼りになるのは動画を見て細かく研究したことではなく、落ち着きと冷静さだと思うようになる。
  1. たとえば、欧米や南米の国々での目新しい暮らし、留学生たちの目新しい暮らし、名門校での学究生活、中上流層の暮らしや消費、気取った雰囲気、ステータスを見せつけるようなスタイルなどが流れてくると、以前は「好奇心」をそそられ、さらには自分に「関係がある」とさえ感じていた。今は、自分には関係がないと自分に言い聞かせる。
  1. たとえば旅行についても、折り合いがついた。遠くの聖なる山に沈む夕日も、自分たちの地方の町で見る夕日も、本質的な違いはない。大切なのは、やはり心の静けさと、天人合一だ。手に入りにくいものをことさらに尊ばない。極上の絶景や、はるか遠い場所に執着する必要はない。家のすぐ下の小さな公園だって、十分に美しい。

二、さまざまな課題について成熟し、区切りがつき、折り合いがつく

そうすると、さまざまなテーマに関心を向けなくなる。

大きな課題なら、マクロ経済、心理学、人間関係、生まれ育った家庭、教育、恋愛、職場で雇われて働くことなど。

小さな課題なら、旅先で暮らすこと、テニス、姿勢の矯正、トレーニング、スイーツなど。

自分の課題が減れば、業の障りも、その業の障りゆえにのめり込むものも減っていく。

三、もう外に求めない

以前、スマホやインターネットにのめり込んでいたことには、外に求めるという究極の課題が関わっていた。いつも迷いを感じ、いつも「探求」しなければならないと感じていた。今は私の心が明るく澄み、もう外に求めないので、探求したいという欲求もそれほどなくなった。今この瞬間に安んじていられるし、目まぐるしく奇怪なものに惑わされることもない。

四、今は少し見ると、もう受けつけなくなる

もう少し見続けたいと思っても、できない。

流れてくるものの多くは、知性を侮辱されているように感じるし、人生の無駄だと感じる。それが中断のきっかけとなり、警鐘となって、スマホをだらだら見るという行為の異常さを気づかせてくれる。だから、スマホを見ていても「フロー」のように没頭して抜け出せなくなることがなく、スマホを脇に放り出す。

五、マインドフルネスを楽しむ

普段、歩いているときはスマホを見たいと思わない。道端の自然をもっと眺め、歩く感覚を味わいたい。

普段、食事のときも見たいと思わない。食べるリズムや楽しみを損なう気がする。

夜、寝るときは、むしろ自分の腹筋を押してみたり、肋骨のあたりをつまんでみたり、ストレッチをしたり、気ままにとりとめのないことを考えたり、何かの課題をじっくり考えたりしているほうがいい。そうして考えているうちに眠ってしまう。以前のように、ベッドに入って寝ることが、ただスマホで遊ぶための準備だとは感じなくなった。