マルクスと荘子の心理学 マルクス+荘子の哲学 · 誰もが本来、すべてを備えている

つながりシリーズ

つながりの視点から考える、努力するほど誤り、力むほどずれる理由

つながりの観点から、努力すれば間違い、力を入れればずれるのはなぜかを見る
つながりシリーズの記事では、自分、他者、人民、社会、歴史、大自然、宇宙とのつながりの大切さを書いている。それは荘子の天人合一の哲学の真髄であり、実存的危機への答えでもある。
つながりは、努力して得るものではない。ある分だけ、ある。私たちに「できる」のは、ただ「気づく」ことだけだ。
つながりには、力を入れられない。力を入れると、かえってつながりは切れてしまう。力を入れたくなること自体が、つながりが切れたときの無意識の反応なのだ。
「努力」と「力を入れること」の本質は、「今」への不満と、そこからの逃避である。
一、人間関係がまさにそうだ
二人の間にどれだけつながりがあるかは、縁による。
足りないと感じ、貪り、怒り、迷い、力を入れても、相手に見せるのは自分の欠乏と業の障りだけであり、それに対する相手の応答も、しばしば欠乏と業の障りから生まれる。女の子を必死に追いかける→悪縁。悪縁とは、業の障りや業の力が絡み合うことであって、つながりではない。
だから、『交友関係を選ぶ』では、人を選ぶ基準は厳しく、自分には寛大に、と書いた。
ここ数年、私が個人メディアで発信してきたのも、実はこのことをおぼろげながら理解していたからだ。自分が成長し変化するのを静かに待ち、縁のある、波長が合って共鳴する人を静かに待つしかない。今ある関係を無理に一歩先へ進めようとしてはいけないし、理想化した関係を根拠もなく思い描いてはいけない。
二、自分とのつながりにも、力は入れられない
力を入れすぎるのは執着だ。自分に努力を強い、運動を強い、眠ることを強いても、役には立たず、業の障りになる。
よい習慣の本質は、どれもつながりにある。そのつながりがある人は、自然とその中に楽しみを見いだす。まだそのつながりがない人は、それを苦役、努力、忍耐力、「人間の本性に逆らうこと」と捉える。
運動、早寝早起き、よく噛んでゆっくり食べること、スマホの使用を控えること、糖分を控えること、学習など。そこには、地味ではあるが、私がよく、人にできる唯一の助言だと言っている、日記を書くことと散歩することも含まれる。
習慣が身につく過程は、心の力が回復する→今できる小さなことに取り組む→心の力が強まり、業の障りが消化され、本性が明るくなる、という好循環だ。私たちにできるのは、ただ心を静かに澄ませ、心の力が回復するのを待つことだけで、癒やしは自然に起こる。中国では毎年、何千万人もの在学生が、それぞれの人生の困難の中で、黙々とこうした過程をたどっている。清静無為。
多くの人が苦境にあるのは、自分自身(身体、心)とのつながりが乏しく、自分を理解し、受け入れることができず、自分を愛するすべを知らないからだ。
自らの本性とつながり、本来の十全さを感じることには、なおさら力を入れられない。多くの「修行者」がなかなか悟れないのは、執着しすぎ、力を入れすぎているからだ。『修行者のエゴ』『修行への強迫とエリート主義』。
三、大自然とのつながり
私にとっては、それを深く感じながら、自分が感じているすばらしさとはいったいどのようなものなのか、その感覚をさらりと「描写」してみることはできる。天地には大いなる美があるが、何も語らない。描写したいと思いすぎると、つながりを断ち切るだけになる。
ある時期、大自然とつながろうと意識しすぎて、「さあ、早く天人合一を感じ取ろう」と自分に課題を課したせいで、かえって公園に行くのが少し怖くなってしまった。(以前の記事『とても新しいエゴ――課題をこなす人のエゴ』)
四、学習では、つながりが何より大切で、努力が何より妨げになる
成績のよい生徒は、みな学習とのつながりを感じているので、苦労しない。成績のよい生徒にはわかるが、ほかの人にはなかなか説明できない。中には、自分は努力や才能、学習法のおかげだと思っている成績のよい生徒もいるが、それは迷いだ。成績が中くらいの生徒にも、学習とのつながりはある程度あり、遅れをとっている科目ではしばしば「努力」している。
学習に困難を抱える生徒は、つながりが乏しく、恐怖、孤独、不安を感じている。そんなときに親が、社会は過酷で競争が激しいと「勉強を勧め」たり、勉強を強いたりする。よその家の子を引き合いに出す、うちは貧しくて支えてやれず、むしろお前に早く助けてもらわなければならないと言う。そうしたことはすべて、圧力を増し、子どもがますますつながりを持ちにくくするだけだ。
数学が得意なのは、数学とのつながりがあるからだ。ところが、自分は天才で、知能が高く、他人より優れていると思うと、数学をする人としてのエゴが、かえって数学との関係を少しずつ断ち切ってしまう。清華大学、北京大学、中国科学技術大学の学生の多くは、入学後に名門大学症候群に陥り、周囲の人に対して優越感を持てない自分を受け入れられず、天才エリート主義にしっぺ返しを食らい、そこから数学とのつながりが切れてしまう。
五、仕事も、つながりによる
同じことでも、ある人は喜んで取り組み、ある人は味気なく、針のむしろに座るように感じる。バフェットは言う。タップダンスを踊りながら出勤したくなるような仕事をしよう。
『バリュー投資で最も大切なのはつながり』
マルクスが17歳、中等学校を卒業する直前に書いた『職業の選択に際しての青年の考察』:もし私たちが、人類の幸福のために最もよく働くことのできる職業を選ぶなら、重荷に押しつぶされることはない。なぜなら、それは皆のために身を捧げることだからだ。そのとき私たちが感じるのは、みじめで、限られた、利己的な喜びではない。私たちの幸福は幾千万もの人々のものとなり、私たちの仕事は、静かに、しかし永遠にその力を発揮しながら存続するだろう。そして私たちの遺灰を前に、高潔な人々は熱い涙を流すだろう。
六、人民、歴史とのつながり
マルクス主義を好む人の多くは、力を入れすぎ、救世主になりたがりすぎる。それは自分の責任感やつながりの感覚によるものだと思っている。実際には、欠乏、優越感、つながりの断絶によるものだ。自分も普通の人間だと気づかず、人民や歴史との本当のつながりを持っていないため、唯物史観や人民史観を理解していない。

『「コンフォートゾーンを打ち破る」は偽りの概念、心安らぐところこそわが故郷』:
心の不安はあらゆる魔を生み、心の安らぎはあらゆる邪を打ち破る。
コンフォートゾーンを築き、コンフォートゾーンを広げる。
安心からフローが生まれ、フローから突破が生まれる。
時に安んじて命に従い、自然の成り行きに任せる。